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芭蕉の辻

◎国分町通(旧奥州街道)と青葉城からまっすぐ東に延びる大町との交差点
◎交通手段  : 仙台市営地下鉄 広瀬通駅
◎現住所   : 仙台市青葉区国分町

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 芭蕉の辻は藩政時代、仙台城の大手から城下を東西に貫く大町の幹線と、国分町を連ねる奥州街道の幹線の交わるところで城下町の中心地でした。

 ここには、札番所(ふだばんどころ)があって、忠孝条目や切支丹、捨馬などの制札(レプリカが仙台市博物館にあります)が掲げてあったので、札の辻とも呼ばれていました。 辻の四隅には藩が造営した銃眼と矢狭間を備えた二階建の城郭式の建物があり、仙台城の防御と威容を兼ね備えたものでした。
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 この札の辻は、芭蕉の辻の名で知られていますが、この名の由来はいくつかあります。
1.儒者内藤以貫の「封内山海名蹟記」による説。
 政宗が仙台城を築城する前に、隠密としてかかえていた芭蕉という名の虚無僧の功績への褒美として上記の四隅の城郭式の櫓を賜ったが、芭蕉はこれを辞退した。 そこで、彼の名を伝えるため、この辻を芭蕉の辻と呼ぶようになった、というもの。

2.儒者田辺希文の「封内風土記」による説。
 昔、この辻に芭蕉が植えてあったので芭蕉の辻と呼ぶようになった、というもの。

3.文人燕石薄墨の歌による説。
 「鶴も羽をひろくのしつつ舞ひ遊ぶ芭蕉の辻の春のあけぼの」から、芭蕉の辻とは芭蕉の葉が広いように、道幅が広いことから呼ぶようになった、というもの。

4.目抜き通りの場所、便利な場所、賑やかな場所、そして場所がよいなどというこの”場所”が芭蕉の辻の「ばしょう」になった、というもの。

いったいどれが本当なのでしょうか。 ちなみに松尾芭蕉は時代的に関係ありません。 あしからず。

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