外記丁(げきちょう)
◎現在の花京院通り西端から宮城県庁東側の北一番丁までを外記丁といいました。 外記丁の由来となった斉藤外記は、武勇談を数多く残した伊達政宗の家臣で、多くの功績の恩賞として自分の住む場所に名を留めることを許され、下記丁となりました。
◎交通手段 : 仙台市営地下鉄 勾当台公園駅、 仙台市営バス NHK前など
◎現住所 : 仙台市青葉区本町
◎施設・学校 : 錦町公園、社会福祉会館

斉藤外記は講談などにも登場し、そこでは薬売りに変装して牢を破って脱藩した梁川庄八を仙台藩に連れ戻す手柄を立てた話などがみられます。 また、私が子供の頃には旧愛宕橋の北側のたもとに梁川庄八首洗池なるものもあった記憶があります。(話自体フィクションなのですが・・・)
史実を仙台藩士辞典からひろってみますと、
斉藤外記
米沢時代、無足で奉公。 国替後5貫文で給主組頭、後罪有り。進退没収。 罪人蟹四郎兵衛を討捕し首持参し、知行16貫500文新賜番士となる。 大坂両陣では長尾主殿に属し、軍功有り。が、後主殿罪有り、進退没収時に連座し半録となり中の間に降格。 其の折藩から抜け出し越前に仕えていた下郡山清八郎を命により召取り。16貫500文を返される。 寛永5年大坂の陣及び数度の勲功を称され50貫457文に加増。 寛永12年病死。
とあります。
外記丁の名前については、上記寛永5年に政宗が外記の勲功を賞し、特に望む所を問うた時に「臣敢えて財物を望まず。臣が住居する所に命ずるに臣が名を以てする得ば、誠に望外の幸福なり」と望み、許されたのが丁名の起こりです。
徳川家康における服部半蔵のような役割を果たしていたのでしょうか。
波乱万丈の人生を送った人物のようですね。
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