東二番丁(百騎丁)、東三、四、五番丁
◎藩政時代の幹線道路、奥州街道沿いの国分町から東に向かって割出された中堅武士の住む町でした。 現在、東二番丁は五橋中学校から勾当台公園に至る大通りに、東五番丁は仙台駅前の愛宕上杉通りと名付けられ仙台を代表する幹線道路となっています。
◎交通手段 : 仙台市営地下鉄 仙台、広瀬通など
◎現住所 : 仙台市青葉区中央
◎施設・学校 : JR仙台駅、JR仙石線あおば通駅、東二番丁小学校

東二番丁
五橋中学校から勾当台公園に至る東二番丁通は百騎丁(ひゃっきちょう)とも呼ばれていました。 古くは一、二、三番丁を指していましたが、特に東二番丁のみを指す呼び名として残りました。 そのいわれは、寛文事件(伊達騒動)のとき、仙台藩に尽力した幕府の老中板倉重矩のため、板倉家有事の際には出陣できるよう馬上百騎(100人の馬上の武士)をこの地に住まわせたためといわれています。 現在SS30ビルの建つ地には南町奉行所が、中央警察署跡地には医学館がありました。
◎日本最初の公開図書館「青柳文庫」
青柳文蔵は医者の家に生まれ医者を志したが断念、江戸に上って商人となり財を成しました。 そして医学館に私費を投じて天保2年(1831)文庫を創立、2万冊の蔵書を寄贈しました。 これが、一般閲覧を目的とした日本初の公開図書館「青柳文庫」です。

東三番丁
ダイエー仙台店の東側の通りです。 北の端が西に湾曲して定禅寺への上り口につながっていました。 幕末にはこの通りの東側に御町同心が住んでいました。

東四番丁
イービーンズの西側の通りです。 北は元寺小路から、南は北目町通まで通じていました。 大番士の屋敷町でした。

東五番丁
メトロポリタンホテル、ホテルモントレ、さくらの、LOFTなどが面している駅前を南北に走る大通りです。 藩政時代は北は新伝馬町と名掛丁の境から、南は北目町通まで通じていました。 明治20年12月に上野-仙台間に鉄道が開通すると仙台駅前広場を含む大通りとなりました。 戦後、元寺小路北方へ延長され、元寺小路七北田線として北仙台で国道4号線と合流する幹線道路となりました。
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