立町(たちまち)
◎現在の広瀬通の国分町から西側の通沿いを立町(肴町の北隣)といいました。 立町は御譜代町の四番目に数えられる町で、穀町、新伝馬町、二日町、立町とで4穀町と呼ばれ五穀の相場を決めていました。
◎交通手段 : 仙台市営地下鉄 広瀬通駅、 仙台市営バス 立町小学校前など
◎現住所 : 仙台市青葉区立町、同区国分町2丁目
◎施設・学校 : 立町小学校

写真は立町通から玉澤横丁(現広瀬通り)
立町は御譜代町として御市日の特権とともに、穀類の専売権も与えられていました。 北方は立町と二日町、南方は穀町、中央の新伝馬町を四穀町と称し、五穀の相場が立ち、米問屋の多い町でした。
米沢時代に大町に直行する縦町であったので立町となったといわれています。 慶長年間、糒(ほしいい)の製造所が設置されたが、この町の夏井籐兵衛はその中心であり、「仙台糒(せんだいほしいい)」として明治維新以後も製造販売されました。
町の上の手の方には武具職人たちの住居が置かれ、刀鍛治として有名な「国包(くにかん)」などもここに住んでいました。
◎赤穂浪士と仙台糒
糒(ほしいい)とは米を蒸して加工した携帯食で、熱湯を注げばすぐに粥になって食することができました。 仙台藩の江戸藩邸では、不時に備えて常時大釜に湯をたぎらせていたといいます。(「不寝釜(ねずのかま)」と呼ばれていた) 元禄14年12月15日朝、吉良邸から泉岳寺に向かう赤穂浪士にこの糒がふるまわれたと伝えられています。
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