柳町(やなぎまち)と柳町通
◎南町の南端から北目町の北端にかけての町を柳町(やなぎまち)といい、奥州街道沿いで御譜代町のひとつとして栄えた町でした。 また、柳町大日堂前から榴岡4丁目の孝勝寺へ至る道を柳町通(孝勝寺通)と称しました。
◎交通手段 : 仙台市営バス 一番町中郵便局前など
◎現住所 : 仙台市青葉区一番町1丁目
◎施設・学校 : 柳町公園、大日堂

写真右側が大日如来堂
柳町はお茶の専売権を与えられた御譜代町のひとつで、もとは西公園の東にある元柳町に配置されていましたが、寛永四年に南町と北目町の間の現在地に移り、奥州街道筋となって繁盛しました。 商人と御職人の町で田善銅壺屋(現タゼン)は仙台でもっとも古いお店になります。
町の東端には未(ひつじ)年、申(さる)年の守り神(ケデ神)を祀る大日堂(大日如来堂)があります。 大日堂はこの町に住んでいた人達が作った山伏寺で、昔は柳生山教楽院と号し、大日如来を本尊としていました。 いまでも「おだいにっつぁん」と呼ばれ親しまれています。
仙台で一番古いお店(タゼンのHPより抜粋)
仙台のタゼンの歴史は、豊臣秀吉が権勢を欲しいままにし、栄華の限りを誇っていた天正の頃、大坂において始まる。天正時代(1573~1592年)は、とりわけ美術・工芸の技術が目ざましい進歩を遂げ、華やかな桃山文化を形成した時代である。タゼンの始祖である善蔵もまた、桃山文化の担い手の一人「御飾職」-今で言う彫金工として、大坂は田中の在でその腕をふるい始めた。
さて、この大坂にいた初代・善蔵を、はるか遠いみちのくへと連れて来たのは、ほかならぬ伊達政宗公であった。政宗公は、秀吉のもとへ上洛するたびに桃山文化への憧れを募らせていたらしい。その思いはことのほか強く、文禄・慶長の役に出陣した際に善蔵を見い出すと、大坂を離れる決心をさせた。慶長元年(1596年)のことであった。
善蔵は大坂を後にして政宗公の当時の居城であった玉造郡岩出山にやってきた。その後青葉城の築城に際して、御本丸の飾り付けなどにその腕を存分に発揮し、大いに政宗公を喜ばせたようである。功労として刀の金具や神社仏閣のアカ金(銅)の飾り付けを行う「御飾職」に任ぜられ、現在も本社を置く柳町に土地を与えられた。またこの時に、職人でありながら名字を名のることを許されている。出身地の「田中」を姓として与えられた善蔵は、この時から「田善」と通称されることになった。
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