二十人町(にじゅうにんまち)と鉄砲町(てっぽうまち)
◎名掛丁の東側に続く通沿いで、X橋(エックスばし)の北東側の通りが鉄砲町、南東側の通りが二十人町でしたが、現在この地区は区画整理中で昔の面影はあまり残っていません。仙台駅にも近いので商業地区、住宅地区になるのでしょうか。
◎交通手段 : JR仙台駅より徒歩圏内 仙台市営バス通ってないので小田原方面より徒歩
◎現住所 : 仙台市宮城野区二十人町、仙台市宮城野区鉄砲町
◎施設・学校 : 矢先神社、和光神社

二十人町

鉄砲町
どちらの町も鉄砲足軽組がおかれたまちで、寛文年間(1661~72)に開かれました。 二十人町は、四代藩主綱村が、武功のあった二十人衆という鉄砲組足軽を十組とし、この町に置いたことから二十人町と呼ばれるようになりました。 また、このまちは城下東よりまっすぐに仙台城大手門に通じる守りの要の位置にあったので、まちのちょうど真ん中あたりがかぎ形に曲がっていて、外敵の直進を防ぐ形になっていました。
鉄砲町は岩切、塩釜、石巻へと通じる大切な道にあたっており、延宝年間(1673~81)以降は東端に米蔵と材木蔵がありました。
足軽町には決まって氏神が祀られていました。 氏神は足軽同士が強い結びつきを確認しあうための拠りどころとなるものでした。 いまも二十人町には矢先神社が、鉄砲町には和光神社が残っており城下町の息吹を伝えています。
和光神社は大坂の陣で戦い、凱旋した鉄砲町の足軽衆が元和2年(1616)に祀ったものです。 藩政期の絵図には「星場」と呼ばれた鉄砲の稽古場がこの近辺に見られます。(ちなみに弓の稽古場は「的場」と呼ばれました)
一方矢先神社は、境内そのものが稽古場となっており、城下にあった十二の足軽組のうちの弓鉄砲組のうち二十人町衆だけが城に向かって弓鉄砲の稽古をすることを許されていました。
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